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東京地方裁判所八王子支部 平成5年(ワ)2423号 判決

原告

甲野春子

右訴訟代理人弁護士

鈴木理子

被告

乙山一夫

右訴訟代理人弁護士

楠田直樹

主文

一  被告は、原告に対し、金五〇万円を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを四分し、その三を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

被告は、原告に対し、金二〇〇万円を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、小学校教師である原告が、以前に勤務していた小学校の校長であった被告に対し、被告が原告に対して卑猥な行為ないし性的要求行為を行い、更に、原告が右行為を拒絶する態度をとったことから、被告が教育上のことで原告を無視したり、個人的な感情に基づいて人事上の不利益を課すなどの言動(以下「嫌がらせ行為」という。)をとったことによって甚大な精神的苦痛を被ったとして、不法行為に基づく損害賠償金三〇〇万円の内金として二〇〇万円の支払いを求めた事案である。

二  争いのない事実及び証拠上容易に認定できる事実並びに争点

1  当事者

(一) 原告は、昭和一六年生まれの女性であり、昭和五五年四月から小学校の教師を務め、昭和五九年四月から平成六年三月まで八王子市立元八王子東小学校(以下「本件小学校」という。)で勤務していた。

(二) 被告は、昭和一二年生まれの男性であり、平成元年から平成五年三月まで本件小学校の校長を務め、平成二年度から平成五年度までの原告の人事を決定した。

((一)、(二)のうち、原告及び被告の生年については弁論の全趣旨、その余の事実は争いがない)

2  原告の本件小学校における職務

(一) 原告は、本件小学校において、昭和五九年度に五年生の担任、昭和六〇年度に六年生の担任、昭和六一年度に五年生の担任、昭和六二年度に六年生の担任、昭和六三年度に三年生の担任、平成元年度に四年生の担任をそれぞれ務めた。(乙二一、二七)

(二) 原告は、平成二年度、二、三、四年生の音楽担当、研究推進委員長を務め(証人清水進、乙二一)、また、八王子市教育委員会の任命により、八王子市人権尊重教育推進委員会委員の任務を務めた(争いがない)。

(三) 原告は、平成三年度、前年度に引き続いて二、三、四年生の音楽担当を務め(乙二一)、教務主任を命ぜられ、八王子市人権尊重教育推進委員会委員の任務を務めた(争いがない)。

3  被告の原告に対する卑猥な行為ないし性的要求行為の有無(争点1)

(一) 原告の主張

(1) 被告は、平成二年度、八王子市人権尊重教育推進委員会の委員をしており、被告と共に委員会活動をしていたが、原告と被告は、平成三年一月二二日、八王子市人権尊重教育推進委員会の主催による都区内中学校の見学に参加し、見学が終了した後、新宿で有志による懇親会に出席した(争いがない)。懇親会は、午後七時三〇分ないし午後八時頃終了し、その後、両名は、京王線高尾山口行きの電車に乗った(原告本人、被告本人)。両名は、さらに高尾駅で中央線に乗った後、西八王子駅で降り、被告は原告を誘って居酒屋に入り、二人で閉店時刻の午後一一時頃まで飲食した後、同店を出たところ(居酒屋を出た時刻は原告本人、その余は争いがない)、JR西八王子駅付近において、駅の付近に駐車していたオートバイに乗ろうとする原告の後を付いて来て、自分のズボンのチャックを開いて性器を露出し、原告の手を掴んで無理やり被告の性器にこすり付け、驚いた原告が、「止めてください。」と叫びながらその手を振り切って被告のズボンのチャックを上げると、再びチャックを開いて性器を露出し、同様の行為をした。(右卑猥な行為の有無を争点1(1)という。)

(2) 平成三年五月、本件小学校で春の運動会が開催された後、付近の中華料理店において、職員らによる食事会が行われ、原告と被告は、右食事会に出席したが(争いがない)、右食事会が終了した直後、被告は、原告に「モーテルに行こう。」と声をかけた。(右性的要求行為の有無を争点1(2)という。)

(3) 平成三年六月、本件小学校の職員らによって、退職した教師の歓送会が開催され、原告と被告は、右歓送会に出席したが(争いがない)、右歓送会が終了した直後、被告は、歓送会が開かれた店の入口付近の壁にもたれていた原告の肩を掴み、首筋に熱い息を吹き掛けてすぐに離れた。(右行為の有無を争点1(3)という。)

(二) 被告の主張

被告が原告に対し、卑猥な行為、性的要求行為をした事実はない。もし、右行為が事実であるとすれば、右行為後原告の被告に対する何らかの批判的な行為等があって然るべきところ、平成四年八月における、被告による原告に対する「残り勉強」是正指導についての原告の被告への批判的態度までの間、右批判行動は存在しないし、平成五年四月まで、右行為について公にしていない。

本訴は、被告が原告の独自かつ特異な教育信念に基づく教育方法の是正を促したこと、被告が原告を平成五年度の学級担任にしなかったことに対する復讐として、虚偽の卑猥な行為等の事実をねつ造し、被告の社会的地位、信用を失墜させることを意図して提起されたものと推察される。

4  被告が原告に対して冷淡な態度をとり、人事上の不利益な措置を課した事実(嫌がらせ行為)の有無(争点2)

(一) 原告の主張

被告は、原告が右1の卑猥な行為ないし性的要求行為を拒絶する態度を示すと、次のとおり、人事上、教育活動上、原告に対し、従来とっていた態度(人事については原告の希望を容れていたし、原告の教育上の意見に耳を傾け、原告を労い、仕事ぶりに感謝・賞賛を惜しまなかった。)や他の教師に対する態度とは著しく異なる冷淡な態度をとり、更には人事上の不利益を課し、原告に対する嫌がらせ行為を行った。

(1) 平成三年七月、一学期休んでいた本件小学校の児童が原告の訪問指導により登校するようになったり、同年八月、休んでいる児童に原告が水泳指導をしたりしていることにつき、被告は何のコメントもせず、原告を無視するようになった。(右嫌がらせ行為の有無を争点2(1)という。)

(2) 平成三年九月頃、登校を拒否していた本件小学校の児童の親が被告と話すことを希望していたことから、原告は、被告に右親と会うように再三頼んだが、被告は、理由もなくこれを拒んだ。(右嫌がらせ行為の有無を争点2(2)という。)

(3) 平成四年三月、原告が、平成四年度の人事について、四年生の担任を希望したところ、被告は、再三、一年生と五年生の担任の希望者がいなくて困っているから希望者は是非申し出るようにと話したので、原告は、一年生又は五年生の担任の希望を出したが、被告は原告の意向を無視して四年生の担任を命じ、原告の教師としての熱意を全く考慮せず、個人的な感情による人事を行った。かかる措置は、被告が他の教師に対する態度と比較して扱いが全く違うものだった。(右嫌がらせ行為の有無を争点2(3)という。)

(4) 平成四年六月頃、原告の担任する学級の児童の母親が、原告が放課後に補修授業を行っていたことに不満を有している旨学校に伝えると、被告は、右母親の言い分だけを聞き、同年八月、原告に対し、母親が不満を抱いていた理由や補修学習の必要性に対しどうすべきかの説明も全くせず、一方的に「反省しなさい。」と叱りつけ、原告の言い分には耳を貸さなかった。(右嫌がらせ行為の有無を争点2(4)という。)

(5) 原告は、平成五年三月頃、翌年度の人事の希望について、第一希望を一年生の担任、第二希望を六年生の担任、第三希望をばつ印とする希望調査表を提出し(原告が平成五年三月頃に提出した希望調査表の記載内容は乙一八、その余は争いがない)、学級担任を希望し、前年度担任として努力成功していたと自負していたにもかかわらず、被告は、これを無視して原告を学級担任から外し、学校内の調整を全く行わずに初任者指導教員の職を原告に押しつけた。(右嫌がらせ行為の有無を争点2(5)という。)

(6) その他、被告は、原告に対し、原告が教務主任になることに反対したり、苛めの問題に取り組み苛めをなくそうとする原告の努力の成果が出るのを妨害するなど、種々の嫌がらせ行為を行った。(右嫌がらせ行為の有無を争点2(6)という。)

(二) 被告の主張

原告は、独自かつ特異な教育的信念に基づく教育方法をとっていたため、原告の担任する学級は常に荒れ、保護者とのもめ事も後を絶たなかったことなどから、被告は、その収拾に苦慮すると共に、原告を指導し、励ますことを心掛けてきたが、被告が原告に対して、嫌がらせ行為を行ったことはない。

原告の主張するような人事が行われたことは認めるが、平成五年度の人事において、原告を学級担任とせず、原告に初任者指導教員を命じたのは、原告に学級担任としてふさわしくないと認められる行為が多々あり、他方、原告が年長の経験者として、新たな視点から成果を上げることを念願していたからである。即ち、専科や初任者指導教員も必要欠くべからざる校務分掌であり、個々の教員の全ての希望がかなうものではなく、さまざまな要素を総合し、適材適所の見地から人事が決定されたものである。

第三  争点に対する判断

一  争点1

争点1に関する直接証拠は、原告本人及び被告本人の供述と原告本人及び被告本人が作成した書面(甲五七、六八、乙一、三六)であるから、以下これらの信用性を比較検討し、他の関連証拠と共に検討する。

1  争点1(1)について

(一)  原告の供述内容は、概ね以下のとおりである。(原告本人、甲五七)

平成三年一月二二日、都区内中学校の見学が終了した後、見学に参加した教師らが懇親会に参加するため、新宿に向かう途中、被告は原告に話しかけ、見学した授業の内容などの話をした。懇親会では、原告と被告は離れた位置に座っており、会話はしなかった。懇親会は午後八時頃終了し、原告と被告は一緒に帰途についた。

原告は、中央線西八王子駅前にオートバイを停めていたため、新宿駅から中央線に乗った方が便利だったが、被告が一緒に京王線に乗ろうと誘ったため、被告と共に、京王線に乗車した。車内で、原告は、被告と話したりしているうちに、降りるべき高尾駅を乗り過ごしてしまったため、高尾山口駅で降りて、京王線で高尾駅に戻り、同駅で中央線に乗り換え、午後九時三〇分頃、西八王子駅で二人は降りた。

電車内で被告は、原告が音楽担当を引き受けたことに対して感謝したり、原告が不登校の児童の訪問指導を始めたことなどについて話したりした。京王線で高尾駅を乗り越したとき、被告は、原告が音楽担当を引き受けたことに感謝して車内で土下座をした。

西八王子駅を降りた後、被告の誘いにより、近くの居酒屋に入り、閉店時間の午後一一時頃まで飲食した。被告は、銚子二、三本位飲酒し、原告は飲酒しなかった。食べ物は、鳥の串焼き、じゃがいもなどが出てきた。被告は、店内で、不登校の児童や、学校の教師の話題、原告がいつも鞄の中に箸を入れていることなどを話して、原告を終始ほめていた。

原告は、右居酒屋を出て、駅前に停めていたオートバイに乗るために踏切付近に行こうとして、被告に挨拶をすると、被告は、「送って行くよ。」と言って原告に付いて来た。原告がオートバイのエンジンをかけようとすると、被告は、原告の正面に来てズボンのチャックを下ろして性器を露出し、原告の手を握って被告の性器を握らせた。原告は「止めて下さい。」と言った。そのとき、原告は無我夢中でチャックを上げたと思う(原告が被告のチェックを上げたか否かについては明確な記憶はない。)。被告は、再びチャックを下ろして同様の行為をした。原告は、「止めて下さい。早く帰って。」などと何度も言ったところ、被告は、「今日は甲野さんとの記念すべきいい日だったな、僕が校長でさえなかったらな。」などと言って、八王子駅方面に向かった。

(二)  これに対し、被告の供述内容は、概ね以下のとおりである。(被告本人)

新宿で行われた懇親会が終了した後、被告と共に京王線新宿駅に行き、発車間際に電車に乗り込んだため、乗った当初は行き先が分からなかったが、後に高尾行きないし高尾山口行きの電車であったことがわかった。乗った電車は、急行だったと記憶している。

被告は、普段は、京王線の京王八王子駅からバスかタクシーで帰宅していたため、高幡不動駅ないし北野駅で乗り換える必要があったが、原告との会話に熱中しているうちに乗り過ごして高尾駅まで行ってしまったため、同駅で中央線に乗り換え、西八王子駅に下車した。同駅を出て原告と共に歩いているうちに、被告のいつもの癖で焼鳥屋に寄りたくなったために、原告を誘って前記居酒屋に二人で入り、一〇時三〇分から一一時頃までの間、焼鳥、もつ煮、漬物などを食べ(注文した物については明確な記憶はない。)、被告だけが酒を飲んだ。店内で、被告は、原告が音楽専科を引き受けたこと等に対する労いの言葉をかけた。被告は、店を出たところで原告と別れ、タクシーで帰途についた。別れ際に、原告が述べているような卑猥な行為は全く行っていない。

(三)  以上の原告と被告の各供述を比較すると、原告の供述は、授業を見学してから、被告が行ったとされる卑猥な行為及びその前後までの状況が具体的かつ詳細であり、終始一貫しているのに対し、被告の供述は、居酒屋を出るまでの供述が比較的詳細であるのに、原告と被告が別れたときの状況については具体的な供述がなく、不自然な感が否めない。特に、被告は、西八王子駅前に原告のオートバイが置いてあったことを知らなかったと供述するばかりか、原告の帰宅方法について全く関心を示していなかったという態度をとっており、また、被告の帰宅方法についても、「確かタクシーで帰ったと思います。」と供述するのみであり、駅のどのあたりでタクシーに乗ったのかも明らかにしておらず、西八王子駅で原告と被告が別れた時点のできごとについて、ことさらに供述を避けている傾向が窺われる。

(四)  右検討の結果並びに後記説示のとおり、原告は被告の原告に対するその後の態度・言動の一部を性的嫌がらせと受け止めていることなどに照らせば原告の供述はそれ自体、また、被告の供述と対比しても、全体として信用することができるところ、右供述によれば、前記争点1(1)の卑猥な行為の事実を認めることができる。これに反する被告の供述は右のとおり信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。もっとも、原告は、その後相当期間、右行為について被告を批判したり、公にしたりはしていないけれども(原告本人)、事柄の性質上、右原告の態度は無理もないことであるから、このことは右認定を左右するものではない。

2  争点1(2)について

(一) 原告の供述は、以下のとおりである。(原告本人、甲五七)

平成三年五月、午後四、五時頃に運動会が終了した後、本件小学校の職員のうち参加可能であった約二、三〇名の者が、中華料理店に行き、飲食の会合を開いた。

会合は午後六、七時頃終了し、原告が店から出てオートバイを停めてあった所に向かって行ったところ、被告が近づき、オートバイを挟んで原告に向かい合わせになり、「モーテルに行こう。」と誘ったが、原告は、何も言わずに無我夢中でエンジンをかけて帰った。そのとき、清水進教頭が店の玄関口に立って、一部始終を見ていた。

(二) 被告の供述は、以下のとおりである。(被告本人)

前記中華料理店において半分以上の職員が参加して飲食をしながら反省会をした後、男性職員六名位で焼鳥屋に行くことになり、被告は長根朗教諭と共に会計を済ませて、一番最後に出ていった。原告に対し、モーテルに誘ったことはない。

(三) 原告の供述は、その供述する「モーテルに行こう。」との被告の誘いがあったとする点が、被告の供述によれば、被告は一次会終了後直ちに二次会に行く予定であったことや、前後の状況からみて唐突な印象が否めないことに照らして不自然であるうえ、会合に参加していた長根朗の陳述書(乙三三)や原告の供述によれば現場を目撃していたとされる清水進の供述(乙二二、証人清水進)に照らしても、採用できない。

(四) その他、原告の主張する事実を認めるに足りる証拠はなく、右事実を認めることはできない。

3  争点1(3)について

(一) 原告の供述は、概ね以下のとおりである。(原告本人、甲五七)

退職した教師の歓送会の一次会が開催された場所は覚えていない。二次会で、被告は、原告をダンスに誘ったが、原告は断り、他の教師と会話をしたり、カラオケを一回位した。二次会が終了した後、外は雨が降っていたので、自動車を持っている者が右教師を送ることになり、自動車を取ってくるまで、皆で階段を登った位置にある狭い入り口の廊下で縦に壁に沿って立っていたが、原告が一番奥に一人で立っていたところ、被告が突然来て首の部分に手をやって、熱い息をかけてすぐに立ち去った。原告は、体が硬直し、言葉が出ずに、いたたまれない気持ちになったが、一人だけ先に出ていくわけにもいかず、自動車が来て先に何名か帰るのを待って、一人で走って帰った。

(二) 被告の供述は、概ね以下のとおりである。(被告本人)

学校の授業が終わった後に三、四〇名の職員が参加してホテルで右一次会を開き、終了後、二次会で地下一階にある店に行き、そこではできるだけ多くの人に声をかけるようにして、何名かの女性と踊った。

二次会終了後、右教師を見送るために階段を上がっていった。階段は狭かったため、階段付近に集まっていたことはなく、階段を上がった所に何人かいたと思う。原告が述べるような行為はしていない。

(三) 原告の供述は、二次会が終了した直後に、右教師を見送る者が集まっている中で原告一人だけが離れて立っていたということや被告の行動が唐突であるということに不自然な点があるほか、階段、廊下付近の具体的な状況が明らかにされていない点で不明確であり、長根朗の陳述書(乙三三)に照らしても、原告の供述は採用できない。

(四) その他、原告の主張する事実を認めるに足りる証拠はなく、右事実を認めることはできない。

二  争点2

1  争点2(1)(2)について

前記一1に認定した被告の原告に対する卑猥な行為がなされる以前は原告と被告の関係は比較的良好であり、右行為以降もしばらくは取り立てて問題が生じることなく推移していたが、平成三年七月、一学期休んでいた本件小学校の児童に対して原告が訪問指導をしたり、同年八月、休んでいる児童に原告が水泳指導をしたことについて被告は特にコメントをしなかったこと、同年九月頃、原告は、登校拒否をしている児童の親が被告と話すことを希望していたことから、被告に右親と会うことを再三要請したが、被告はこれに応じなかったことが認められるところ(原告本人、被告本人)、他方、当時の本件小学校の教頭であった清水進が登校拒否をしている右児童の家庭を以前から自ら訪問し、もしくは担任に訪問させるなどして家庭環境を調査して指導をする等の配慮がされていたことが認められるから(乙一七、証人清水進)、被告の何のコメントもしなかった右行為は直ちに不相当な措置とは言い難いし、被告が原告の要請に応じなかった右行為はなおのこと、不相当な措置とは言い難く、いずれの行為も被告が前記認定の卑猥な行為に対する原告の対応・態度に関連させ、原告に対する嫌がらせ行為として行ったものとも解し難い。

2  争点2に関する原告の主張(3)(5)について

原告は、平成四年度の人事において、四年生の学級担任になったこと、平成五年度の人事においては、学級担任にならず、初任者指導教員に指名されたところ、前者については、当初の原告の希望どおりの人事であったこと(原告は、被告が再三、一年生と五年生の担任希望者がいなくて困っているから希望者は是非申し出るようにと話したので、原告はこの旨希望を出した旨述べるが(甲五七も同旨)、人事上の問題を被告がこのような形で話すとは考えられず、これを否定する被告の供述に照らしても、原告の右供述は措信し難い。)、後者については、原告は、学級担任を希望したが、被告は、原告が年配であって人生経験も一番豊かであり、本件小学校における経験が長いこと、平成元年度は生活指導主任、平成二年度は研究推進委員長、平成三、四年度は教務主任を務めており、本件小学校の属する地域をよく知っていることを考慮し、さらに、被告は原告が平成六年度に異動することは確実であると考えていたため、三年生、五年生時にクラス替えをするため、一年生、三年生、五年生を担任している教員にはできるだけ持ち上がってほしい、二年生、四年生、六年生で担任していた教員に依頼したいと考えた結果、原告を一年間だけ学級担任の任務を行わせるよりは、初任者指導教員の任務を行わせるほうが適切であるとして、前記人事を行ったことが認められる(乙一八、三六、被告本人)。

右によれば、右各人事については不相当とまではいえないし、初任者指導教員の職務が学級担任の職務と比較して、劣っているとか重要性がないとかいうことはできないことからすれば、平成五年度における人事が降格人事であるとか、特に原告に不利益を課した人事であるとは言い難いばかりか、右人事が右のとおりである以上、右人事が原告の希望に反するものであるからといって、直ちに被告が前記認定の卑猥な行為に対する原告の対応・態度に関連させ、原告に対する嫌がらせ行為として行ったものとも解し難い。

3  争点2(4)について

平成四年七月、原告の担任する学級の児童の母親が、原告が放課後に遅くまで補習授業を行っていたことに不満を有している旨学校に伝え、同年八月、被告と小原教頭が、原告に対し、度を過ぎたと思われる補習授業について注意や指導をしたことが認められるところ(乙三六、被告本人)、他方、原告は、平成四年八月一一日に発行した学級通信に、被告が「あせらないで教育課程の範囲内で学年の統一をはかって教育をしなさい。」と指示し、小原教頭が「母親が六人も訪れたという事はつまり母親に不満を与えてしまった事は事実です。誰が訴えに来たかなど詮索する必要はありません。反省しなさい。」と叱ったが、二人の先生の言葉には間違った点は一つもなく、正しいことばかりであった旨の記載(乙三)があり、被告も同趣旨の供述をしている(乙三六、被告本人)ことからすれば、右認定の被告の原告に対する補修学習に関する指示・発言は、不相当な言動とは言い難く、被告が前記認定の卑猥な行為に対する原告の対応・態度に関連させ、原告に対する嫌がらせ行為として行ったものとも解し難い。

4  争点2(6)について

原告は、他にも、被告は原告に対し、種々の嫌がらせ行為を行った旨主張するが、これを認めるに足りる的確な証拠はない。

5  よって、争点2についての原告の主張は理由がない。(なお、仮に原告主張の各嫌がらせ行為に職務性が認められるとしても、公務員個人たる被告は右行為につき不法行為責任を負うものではない。)

三  損害

前記一1に認定した被告が原告に対して行った卑猥な行為の態様、原告と被告の社会的地位、年齢、職場における関係その他一切の事情を考慮すれば、被告の右不法行為によって原告の被った精神的苦痛を慰謝するには金五〇万円をもって相当とする。

四  よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官樋口直 裁判官八木貴美子 裁判官酒井良介)

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